こんばんは!Journey Kです!
教師を続けていると子供にイライラしたり、悪いところにばかり目がいってしまったりすることはありませんか?
これって教員をやっている以上宿命のようなものなんですよね。
よくしたいと思うからこそ悪いところに目がいってしまう・・・
教師も子供も辛い、まさに悪循環ですよね😭
「どうすればいいんだろう?」
そんな事を考えていたときにある記事が目に飛び込んできました。
「この考え方は自分の実践に使える!」
眼から鱗の文章だったので皆さんにも紹介したいと思います。
児島 邦宏さん(東京学芸大学教授:当時) ※以下引用分です
ある山村の小さな中学校を訪れた時のことである。
「この学校の生徒の特色と言ったら、どんなところにあるのでしょうか?」
この問いに、教師の反応は2つに分かれた。
「ここの生徒は、全くだらしがなくて遅刻はするし、忘れ物も多い。注意してもニタニタしているばかりで言うことは聞かないし・・・」
と言うのが一つの評価である。
「ここの生徒は大物ですよ。屈託がなくて何事にもマイペースですよ。教師にビクビクしたりしません。こういう生徒の中から大人物が生まれてくるような気がします」
というのがもう一方の評価である。
どちらの評価が正しいか、ということではない。
おそらくどちらも正しいだろう。
だが、同じ生徒を見ていながら、評価は全く逆向きになってしまっている。
一方は「だらしない」と言い、他方は「屈託がない」と見ている。
この違いは、その学校の教育の方向を全く変えてしまう。
「だらしない」という捉え方から出発した教育は、その生徒の是正を目指す。
忘れ物もなく、きちんとした生活態度を求める。
「屈託がない」という見方から出発した教育は、この「良さ」をどう生かし、伸ばしていくかに力を入れる。
物怖じすることなく、マイペースに生きていく事を応援する。
教育とは全く厄介な仕事だと思う。
それ以上に、人が人を育てることに恐れを抱いてしまう。
子供をどう見るか、どう捉えるかによって百八十度その方向が逆になってしまう。
ある子供観、価値観を持って子供を見るわけである。
かと言ってこの問題を乗り越える術があるわけではない。
私たちの子供理解とは、ある価値観に基づいていること、それを絶対視した時、場合によっては押しつけになること。
その事を自覚する必要がある。
どうだったでしょうか?
この文章を読んだときに自分自身深く反省しました。
自分の価値観にとらわれて押しつけになっていなかっただろうか・・・?
今回の見方に正解があるとは思いません。
学校によっては生活を正さなければどうしようもない!という事もあると思います。
それでも、どうせなら子供を伸ばす事を最優先にした見方ができるとお互いに前向きな気持ちになれますよね!
長くなりましたが読んだ方の参考になれば幸いです😊
それでは、また明日!
コメント
[…] […]
[…] […]